広島刑務所の中国人受刑者脱走 警察庁が特別手配

昨日、私が現在住んでおります広島で重大事故が発生。

で、地元新聞である中国新聞で逃走経路とか見てみると、施設の中を突っ切った感じなんですよね。
Sp20120112009201

98台も監視カメラがあったというのに、捉えたのは1台だけ。
しかもカメラで逃走しているのを捉えて(10:30頃)から、いないということに気づくまでが約10分(10:40)。

当初、所内に隠れているとして、所内捜索に重点を置いていたことから、警察への通報も、近隣住民→広刑→警察。近隣の住民が見つけたのが11:12。警察通報が11:15。
ですから、いないと気づいてから30分以上経過して、警察に連絡している。

立地条件を考えれば、十分に逃げ切れるだけの時間は稼がれたと思います。
広島駅までも30分あれば余裕です。

仮塀が機能してなかったというのが最大の問題と思うんですが・・・ 想定外という言葉で片付けるにはあまりに重大すぎます。

最悪のことを想定して、警備計画を立てなければいけなかったと思うのですが、過去のB級施設の建て替え工事とかで慢心はなかったのか?

今後、建て替えを予定している施設は、施設計画そのものから見なおす必要があると思います。
特に男子の外国人を収容する施設では必要になってくるでしょう。

今回の逃走事故ですが、建て替えの計画を容認した本省側にも落ち度が多々あります。

刑務官が連れ戻すことのできる48時間というリミットも近く、それを過ぎてしまうと警察に頼るしかないという。

正直、今回の事故は、東京拘置所でのイラン人逃走事故以上に重大だと思っています。

以下記事です
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201201120092.html
広島刑務所の中国人受刑者脱走 警察庁が特別手配

 11日午前10時半ごろ、広島市中区吉島町の広島刑務所で、中国籍の受刑者李国林容疑者(40)=殺人未遂などの罪で服役中=が脱走した。工事中の塀を乗り越えたとみられる。広島県警は県内全域に緊急配備を敷き、他の中国地方4県警と愛媛、香川両県警に捜査協力を依頼。単純逃走容疑で逮捕状を取った。警察庁は全国の警察を動員して早期逮捕を図るため特別手配した。

 県警や刑務所によると、李容疑者は2005年、岡山市内で警察官に対する発砲事件を起こし、殺人未遂と公務執行妨害、銃刀法違反など10の罪で懲役23年の判決が確定。08年6月から広島で服役中だった。身長約173センチの中肉で丸刈りという。

 刑務所によると、所内の運動場で運動時間中、刑務官が点呼で李容疑者がいなくなっていることに気付いたという。作業服が脱ぎ捨てられており、上下白色の肌着で逃走したとみられる。

 刑務所外で李容疑者を目撃した道路工事の警備員男性は「(李容疑者は)気付くと尻もちをついた格好で、塀の下の路上に転がっていた。すぐに起きあがって東に走って逃げた」という。

 刑務所は施設の老朽化に伴い、03年から改修中。李容疑者は、運動場を囲う壁(高さ約2・6メートル)をよじ登り、処遇管理棟の屋上に登るなどして所内を東方向に逃走。本塀(同約5メートル)にたどり着き、工事用の足場を使って本塀を越えたとみられる。処遇管理棟の屋上で足跡が見つかっている。

 本塀には通常、切断されると警報音が鳴る鉄線「防犯線」を張っているが、工事のため取り外していた。本塀の手前には防犯線を張った仮塀(同約6~8メートル)を設けているが、李容疑者は屋上を伝ったため仮塀に触れなかった可能性が高いという。

 また所内には監視カメラ98台を設置しているが、李容疑者を映したのは、運動場の壁をよじ登る姿をとらえた1台だけだった。

 刑務所は市役所の南西約1キロにあり、周囲にはマンションや住宅が立ち並ぶ。中国地方で外国人を受け入れる唯一の刑務所で、11日現在で受刑者は1145人。うち55人が外国人という。

 法務省などによると、1989年以降、逃走防止を図っている矯正施設からの脱走は8件目。三浦守矯正局長は「国民に深くおわび申し上げる。事故原因を調査の上、再発防止に万全を尽くす」としている。

 警察庁の特別手配容疑者の指定は、1995年のオウム真理教関連事件で元信者を指定して以来という

| | コメント (140) | トラックバック (0)

メンタルヘルス面で通院をしなければいけなくなった時どうすべきか

将来的に障害年金をもらわねばならないことも考えて、行動すべし。

お久しぶりです。

いろいろあって、障害年金をもらうことになりました。

初診が1998年3月だったので、共済組合員時代に初診日の認定。

なのですが、障害年金の申請をしたのが、今年の9月ということで、病院から初診日に関する書類を取り寄せるだけで一苦労。
幸い、病院名は覚えていたので、郵送で初診日証明をしてもらい、それでいけました。

病院名と初診日は忘れないように。通院が長引いたり、引っ越しなどで通院できなくなったとしても、初診日が基準なので。
診断書も当然もらっておく。

職場との関係を不必要に悪化させない。

共済障害年金の手続きは、辞める時の職場の共済係が窓口になるから。
(=国家公務員共済組合連合会へ直接手続きできない)

被保険者→共済係→国家公務員共済組合連合会という流れで申請書類を出す。
書類は郵送もしてもらえます。

3ヶ月ぐらいかかります。

障害共済年金の等級で障害基礎年金がもらえるか決まります。
3級→もらえない
2級以上→もらえる

2級以上と認定された場合、年金は
障害共済年金+障害基礎年金となります。


障害共済年金の額は、公務等によらない傷病(公務または通勤による傷病以外の傷病)と公務等による傷病(公務または通勤による傷病)とで異なります。
当然、後者の方がお金はもらえますが、公務等による傷病と認められるには別のハードルがあります。

| | コメント (27) | トラックバック (0)

辞表を出した日

10年前のこの日、私は女区長に辞意を表明して、辞表を書いた。
3月末で辞めることにしたので、提出ギリギリの2月末に出したというのか。
最後のあがきだったのかな。

書く1週間ぐらい前に、後任の女区長が決まって、その人には期待できなかったというのがトドメ。
その女区長の手下だという噂もあったし、なんと言っても、刑務所勤務時代の統括でもあったけど、統括としてあまりよくないなーって思っていた人だったので。

その少し前、初等科・中等科の同期の友人に、食事に誘われたときに、「辞めるかも」とは言っていたけど。
で、「辞めるな」とは言ってくれたのだけど・・・精神的にもギリギリだったし、未経験で職にありつけるのは27歳がリミットだと感じていたので。

続けていれば、多分こうやってブログを書いていることはなかったと思う。
それどころか、私自身の存在すら危うかったと思う。
だから、辞めたことに関しては後悔していない。


そして、民間で働くようになってから、いかに自分が社会人としての基礎が身についていないかを思い知らされることに。
社会人1年目に身につけるべきことを身につけていなかったし、身につけるような新人研修もなかったし。

元公務員って、民間の人からすると、嫌がられるんだよね。
要するに権力を振りかざすことに慣れていて、謙虚さが足りないというのか・・・社会人としての基本が身についていないとか・・・
もし、新卒でこの業界に入って、転職しようって思うのだったら、どういう職業であれ、覚悟はしておいた方がいい。

| | コメント (52) | トラックバック (1)

辞めるかどうか迷った時

看守部長に昇格して、日勤者になって、担当をもてるようになったけど・・・まだまだ小娘だった私には、周囲のことを気遣う余裕もなく、先輩方との連携も上手く取れず、自分で自分を追い込んでしまった。

うつ病で1ヶ月ほど、職場を休んだことがある。
ちなみに当時、病休ではなく、有給を使わされた。酷い話だ。
その後、風の噂で何人も部下を退職に追い込んだとか、施設の男子幹部職員との関係とか、ろくな噂は聞かなかったよなw


鬱病と診断されて、女区長と母親と勝手に協議して、実家通勤にさせられたのだ。これがストレスに拍車をかけるはめに。
私は、創価学会員なのだが、宗教観の違いというので、親元にはいたくなかった。
だから、地元の大学に進学しなかった。公安職である刑務官であれば、官舎というモノにすまなければならないというのも格好の理由だった。
個人的に師匠として仰ぐ価値のない人間を師匠としてあがめなければいけない。
脱会するのなら親子の縁を切るとも言われた。
つまり、信仰の自由、思想の自由というモノを奪われて育ってきた。


復帰後、再発するかも知れない病気、周囲との人間関係、そして刑務官という仕事向いていないのではないのか?と本格的に悩むようになっていた。
退職しようかというのが頭をもたげていた。

でも、女区長が年度末で転勤いうのは聞いていた。
で、後任の女区長候補に、私が刑務所勤務時代にお世話になった夜勤部長の名前が挙がっていた。
彼女の元でなら、もう一度やり直せるのでは? と思っていた。

そして、辞めるかどうかを悩んでいたのは、金銭的なこともあった。
民間で程度の給料をもらえる仕事なんてなかったし。


後任の女区長が確定するまでは、退職への迷いすら出すまいと必死で自分を抑えていた。

| | コメント (22) | トラックバック (0)

被害者参加制度と公判立会

毎日新聞より
ソース:http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090209k0000e040061000c.html

被害者参加:傷害事件で公判参加…被告暴言に涙 東京地裁

 東京地裁で9日に開かれた傷害事件の公判で、被害者参加制度に基づいて公判参加を認められた30代の女性被害者が、被告の男(43)から暴言を浴びせられ、泣き出す場面があった。同制度を巡っては、被害者が法廷で2次的な精神被害を受ける懸念も指摘されていた。
 被告は昨年11月、東京都世田谷区の路上で占いをしていた女性に言いがかりをつけ、顔を殴って負傷させたとして、起訴された。9日の公判で女性が「被告に『小銭をかせぎやがって』と言われ、腹立たしく感じた」と証言すると、男は「だったら無償でやればいいじゃないか。茶番だ。日本中の占師をつぶしてやる」と大声で叫んだ。女性は両耳をふさいで泣き始め、裁判長は被告を退廷させた。
 女性は次回公判で、被告に直接質問する予定だったが、被害者の弁護士は裁判長に「本日の状況もあるので、もう一度女性と検討したい」と話した。

私が現役だった頃には、まあ考えられなかった制度ですね。
刑事訴訟法第第三百十六条の三十三~第三百十六条の三十九です。


刑務官には、被告席での被告の証言に介入する権限がありません。
逃走とか暴行とかは防ぐのは戒護の範囲に入りますが・・・

おとなしく退廷命令に従えば、退廷だけですみますけど・・・。


今年は裁判員制度も始まって、公判に関しては大きく変わる年となります。
裁判員制度+被害者参加制度となると、相当の混乱が予想されると思います。

公判中の事故にはくれぐれも気をつけていただきたいと思います。


まあ、よく考えれば、この業界から足を洗って、もう一昔という年月が過ぎようとしています。
昨年の刑制での2シリーズで私がお世話になった方が3人もでました。お元気そうで何よりという感じです。
今月の終わりになったら、改めて、辞表を出す決意をしたまでの経緯を書こうと思います。

| | コメント (23) | トラックバック (0)

快適過ぎ?笠松刑務所は超満員

お久しぶりです。

名古屋タイムズ社の記事より。
http://www.meitai.net/archives/20081023/2008102306.html

■再犯率34%…混在収容に懸念も
 刑務所暮らしは『快適』で「刑務所に戻る受刑者が後を絶たない」という。女子受刑者が入所する岐阜県笠松町中川町の「笠松刑務所」では再犯受刑者率は34%。10年前から定員を超える過剰収容の状態が続いている。現在120%以上の収容率で深刻な事態だ。男子刑務所では受刑者は犯罪によって異なる所に収容されるが、女子受刑者は混在。関係者は「(混在収容で)受刑者が悪知恵を付けることも考えられる」と懸念する。(弥)  女子受刑者の1日は午前6時半の起床で始まる。同7時50分から午後4時45分まで、ミシンを使った縫製作業、自動車部品などの金属組立、七宝焼製品加工などの刑務作業に従事。午後9時就寝。1日の流れはマニュアルに沿ったものだ。

 ■収容率126%…テレビに図書館、クラブも充実
 笠松刑務所の室内は予想した以上にきれい。布団はきちんと畳まれ、掃除も行き届いている様子。刑務所内の娯楽は充実しており、各部屋にはテレビが設置。クラブ活動は絵画、書道、短歌など10種類。図書館では雑誌も読める。
 笠松刑務所は全国に8カ所ある女子刑務所の一つ。21歳から83歳の668人が入所(10月1日現在)。収容定員は532人で、収容率126%の『定員オーバー』状態。1998年から過剰収容が続いている。
 以前は定員350人だったが2004年に増築され、収容定員を増加した。しかし現在、定員1人の単独室(3畳)に2人、定員6人の雑居室(10畳)には8人が収容されている。愛知県など6県の刑務所の収容率は平均91%で、男子受刑者が収容されている名古屋刑務所の収容率は98%(9月30日現在)。笠松刑務所担当者は「過剰収容は全国の女子刑務所で問題視されている」という。

 ■過剰収容、混在収容に懸念
 また女子受刑者は犯罪別に分類せずに刑務所に収容される。W級とひとくくりにされ、さまざまな犯罪を犯した受刑者が一緒に収容される。同刑務所に入所する女性受刑者の収容理由は覚せい剤が約35%で最も多く、以下窃盗25%、殺人11%と続く。
 女子刑務所では過剰収容や混在収容が長年、取りざたされているが「女子刑務所は限られた場所にしかなく、分散できない」のが現状。愛知県など6県の刑務所を監督する名古屋矯正管区の担当者は「近年女子の犯罪数が増加し、女子刑務所数が少なく対応しきれていない」と漏らし、問題解決の見通しがないことを示唆した。
 女子受刑者の処遇を変えることで再犯を防ぐことができれば社会的な意義は大きいのだが…。
【写真説明】上=女子受刑者が入所する笠松刑務所。下=定員1人の単独室(3畳)に2人が収容されている=いずれも岐阜県笠松町


まあ、一度でも女子の現場立ったことあるのなら、当たり前のように実感する。
美祢はAonlyだから別格だけどね。そのほかの施設は似たようなモノだと思うよ。

配役(どういう刑務作業をさせるかを決めること)の時にA/Bは一応分けているんだけど、トラブルメーカー用の工場とかは混在してしまう。観察工場(配役を決めるために2週間適性などを見るための工場)とかでも混在してるし。

娑婆に出ても、まともな男とつきあえなくなってるから立ち直れないんだよね。
女は、つきあう男次第で変わってしまうからね。

んで、女子の場合、シャブがメインだから、A級でも実質累犯と同じなんだよね。使用だけで捕まって、刑務所行っているのは、執行猶予取り消し(弁当持ち)になってるから。
1度拘置所の世話になって、裁判受けて、執行猶予もらったけどまた使用してだからね・・・。窃盗も同じ。
これらの犯罪って、結局「依存」なんだよね。


さすがに、私が拝命した頃は、単独室に2名収容はしてなかったし、過剰収容が始まっていなかったからね。
んで、喫食方法も他の女子施設と違ったし。


せめてA/Bだけでも分けられたらって思うけど、それ以上に問題なのは、
・専門的な治療が必要だったり、介護が必要な被収容者の受け入れ先がほとんどない(=現場の刑務官の負担増)
・専門的な知識をほとんど持っていない刑務官が処遇しなければいけない。「依存」という問題を解消できるほどに被収容者に対して掘り下げられる人材がいなさすぎ。
・出所後のケアがほとんどできていない。
ことなんだと思う。

| | コメント (48) | トラックバック (1)

裁判員制度:被告にネクタイと靴着用認める 法務省方針

毎日新聞より。
http://mainichi.jp/photo/news/20080723k0000m040038000c.html

裁判員制度で法務省は、被告が希望すればネクタイと靴の着用を認める方針を決め、22日行われた東京地裁での模擬裁判で被告役が着用した。日本弁護士連合会の要望を受けた措置で、着席位置も従来の被告席から弁護士の隣に変更して行われた。
 法務省は、▽ネクタイ着用は自殺の恐れがある▽靴の着用は逃走が容易になる--として認めていなかった。このため被告はノーネクタイ、サンダル履きが一般的だったが、市民から選ばれる裁判員に対する印象が悪く、有罪の予断を抱かせる恐れがある、と日弁連が変更を求めていた。
 採用されるネクタイはフックを首回りに取り付ける形。靴は見た目が革靴でかかと部分のないサンダル。いずれも市販品で、拘置所が希望する被告に貸し出す。
 被告の着席位置も、日弁連から「刑務官に挟まれ意思疎通が困難」との指摘を受け、弁護士の前にある被告席でなく、弁護士の隣への着席を認める。


男性がネクタイを着用しないことが裁判員に対する印象を悪くするのであれば、女性がスッピンのままでいることも裁判員に対する印象を悪くするんじゃないの?
確かに化粧水と乳液は自弁だけど拘置所内で使えるよ。でも、ファンデーション塗ったり、口紅をつけたりといった社会人として当たり前の化粧はできない。

たしかに裁判員制度を適用されるような重大な罪に問われているっていうのはあるけど、女子の被告が女性としての心まで失っているわけじゃない。

公判の時にはせめてよそ行きをということで、公判の日にあわせてよそ行きの服を仮出し・領置していた女子の被告も見てきた。

日弁連は全く持って女性の気持ちなどわかりもしない連中の固まりなのだろうかと思う。


それと、被告の着席位置で、弁護人の横も認めるという方針になるそうだが、これは非常に危険だ。
逃走の気配を見せられたら、距離的には追えるかどうかぎりぎりぐらいだ。間に合わない危険性も高い。
開廷したら、手錠すら使えない。しかも靴を履いているとなれば・・・最悪の事態も十分考えられる。

現状、裁判所の構造上、傍聴席側から見て右手が弁護人、左手に検察官というパターンが多い。で、傍聴人向けの出入り口は弁護人側についていることが多い。

日弁連は「刑務官に挟まれ意思疎通が困難」との指摘をしたが、仮監で弁護士面会もできるのに何を言ってるんだと言いたい。

逃走されたら、どうせ刑務官のせいにするんでしょ?
自分たちが主張したことが原因なのに。
全く持って、日弁連ってところは無能な連中の集まりですか?

| | コメント (10) | トラックバック (0)

日本人留学生殺害:米死刑囚に刑執行 わずか7分、淡々と

このブログでは珍しく海外事情を取り上げます。

http://mainichi.jp/select/today/news/20080619k0000m040159000c.html

 米オクラホマシティーで95年1月、京都市出身の留学生、山本憲さん(当時22歳)が殺害された事件で、刑が確定していたテリー・ショート死刑囚(47)の執行に17日、立ち会った。死刑囚はすすり泣きながら「話すことは何もない」と家族らに最後の言葉を残し、薬物注射で刑を執行された【マッカレスター(米オクラホマ州東部)小倉孝保】
 州刑務所から立ち会いを許されたのは地元記者5人と私の計6人。午後5時47分(日本時間18日午前7時47分)、執行部屋へ移動。部屋は窓ガラスとカーテンで仕切られ、向こう側は見えない。続いてショート死刑囚の家族ら5人が入室し、記者の前に座る。私のすぐ前は死刑囚の2歳違いの妹だった。  麻薬中毒の母の下で育った兄妹は幼いころ、励まし合って生きてきたという。6時ちょうどに州矯正局関係者3人が入ると、死刑囚との間にあったカーテンがサッと開いた。
 ガラス越しにみるショート死刑囚はベッドに体を横たえ、手足は縛り付けられているようだった。青い囚人服姿の胸元まで白いシーツが掛けられ、腕には隣の部屋から引き込まれた2本のチューブが付けられている。機械で3種類の薬物が順次、注射されるよう設定されているという。
 ショート死刑囚が立会人席に顔を向け、2回、3回とうなずくと家族は身を乗り出し、2人がVサインを送った。死刑囚の顔の上に取り付けられたマイクを通じ、すすり泣くようなか細い声が立会人席のスピーカーに伝わる。「話すことは何もない」と早口で言うと、すぐに動かなくなった。薬物が体内に入ったのだろう。  妹は隣の夫に体を預けるようにして、泣き声をかみ殺す。殺人犯であっても、彼女にとっては母の暴力から守ってくれた兄なのだ。
 医師はショート死刑囚の胸に聴診器をあて、「6時8分、死亡確認」と告げた。死刑執行にかかった時間はわずか約7分だった。

 ショート死刑囚は95年1月8日未明、オクラホマシティーのアパート1階に爆発物を投げ込み炎上させた。2階に住んでいた山本さんが全身やけどで翌日死亡、数人が負傷した。1階に住んでいた交際歴のある女性を狙った犯行だった。97年に第1級殺人罪などで死刑を宣告され、07年10月に刑が確定していた。
 執行部屋の隣の部屋からは、ショート死刑囚の投げた爆発物で大やけどを負った被害者が執行を見ていた。ロバート・ヒエスさん(52)は執行後の記者会見で「人の命を奪ったのだから死刑は当然。彼は痛みを感じずに死んだが、私は今でも(やけどの)痛みに苦しんでいる」と語った。

 ◇ことば 米国の死刑制度
 連邦最高裁は76年に死刑を合憲と判断。現在、全米50州のうち36州で死刑が規定されている。しかし、死刑廃止を求める世論の高まる中、多くの州は執行を一時停止しており、07年に死刑を執行したのは10州だけだった。

 死刑が定められている36州はいずれも薬物注射による執行を採用。うち一部の州は死刑囚が執行方法を電気椅子▽ガス室▽絞首刑▽銃殺ーーからも選べるようにしているが、ほとんどは薬物注射を選択する傾向にある。

 ネブラスカ州は唯一、電気椅子による執行だけを規定していたが、今年2月、州最高裁が「残虐な罰」を禁じた州憲法に反すると判断した。

 多くの州では被害者の家族への配慮や刑の透明性を高める目的で、死刑囚の家族に加え、被害者や遺族、ジャーナリストの立ち会いを認めている。

日本の死刑執行事情とは大きく違う。
つい最近まで、誰が執行されたのかですら公表されていなかったという、密室状態。
かたや被害者感情や刑の透明性の確保に努める米国。
刑の執行手段云々の前に考えさせられる。

もちろん、どっちにしても執行に携わる職員がいるのは同じ。
好きこのんで執行に携わる職員はいないだろう。でも、公僕として与えられた任務だからこなさなければならない。

| | コメント (32) | トラックバック (3)

20年という時間(宮崎勤死刑執行に寄せて)

各地既報ですが、本日、連続幼女殺人事件で世間を騒がせた宮崎勤死刑囚の刑執行が東京拘置所でありました。

http://mainichi.jp/select/jiken/archive/news/2008/06/17/20080617dde041040031000c.html
より、事件と公判の流れを追っていきます。

1988年8月 埼玉県入間市の幼稚園児(4)が失跡
1988年10月 同県飯能市の小学1年生(7)が失跡
1988年12月 同県川越市の幼稚園児(4)が失跡
1989年2月 入間市の園児宅に遺骨届く
1989年2月 朝日新聞社に「今田勇子」名の犯行声明文
1989年3月 入間市の園児宅などに「今田勇子」名の告白文
1989年6月 東京都江東区の保育園児(5)が失跡
1989年7月 宮崎死刑囚を幼女への強制わいせつ容疑で東京都八王子市内で現行犯逮捕。
1989年10月までに4件の誘拐殺人で起訴
1990年3月 東京地裁初公判で起訴事実の一部を否認
1997年4月 東京地裁が死刑判決
2001年6月 東京高裁が宮崎死刑囚側の控訴棄却
2006年1月 最高裁が上告棄却。2月に死刑が確定
2008年6月 死刑執行


最初の事件から20年。
この事件は、当時としてはかなりセンセーショナルなモノでした。
当時はまだインターネットもなく、彼の性的な欲望を満たすモノといえば、ビデオ、本、写真といったアナログなモノしかなかったころです。今ではもはや考えられないでしょうけどね。

特に、起訴後、初公判までが半年、1審判決が出るまで7年半近くかかっているという、裁判の長期化という問題が顕著に出ていると感じます。2審でも4年、最終審でも4年以上かかっていて、16年あまりを公判に要していたという計算です。
生死を扱うのだから慎重にというのは理解できるけど、それにしても長すぎるというのが一個人かつ一市民としての実感です。
現役の人からすると、同じ場で同じ時間を共有したという観点から見ることができるのかもしれないと思いながら。

逮捕当時25歳、執行時45歳。
人生の花盛りであるはずの時期を独房で過ごしたのかと思うと悲しく感じたりします。
奇しくも、つい先日の秋葉原での通り魔殺人事件の容疑者も25歳でしたね。
男性にとっては、本格的に社会の中でもまれながら生きていくことを要求されていく年齢になって、将来を考えたときに不安になるのかとも思ったりします。

今の法務大臣になって、刑の執行ペースが速すぎるのではないかという問題も出されていますが、これは過去のツケを今支払っているだけに過ぎないでしょう。過去において適切な刑の執行がされなかった結果でしかないです。

あまりに時が流れてしまったこと、最後まで反省の心がなかったらしいということ、それを思うと空しくもなったりします。

| | コメント (28) | トラックバック (1)

遠距離恋愛は大変だよ

刑務官になって辛いのは、彼氏と自由に連絡が取れなかったり、会えなかったりすることでしょう。

今はケータイが普及していて、メールはすぐ返信とかの習慣とかがあるようなので、なおさら大変なんだろうなと思いつつ。
あ、でも職場内のケータイは持ち込み禁止ですから、そういった事情というのは相手にも理解してもらう必要があると思います。たまに、2chとかでケータイ持ち込んでいるとかの話があるのですが、これって過去の歴史に学んでいないよねと。籠絡されたらどうするのですか?

私の場合、彼氏に対して、夜勤日を教えるのと、夜勤の日は次の朝までは絶対に連絡が取れないというのを教えることで比較的スムーズに進めることができたのですが……ケンカになって私が無視モードに入ると、私が家にいる日は電話が鳴るという状況にもなったりして大変でしたね。
それとか、最初拝命した施設で2人暮らしだった頃、隣の部屋の人に22時頃に電話しているのを怒られたりとか。

仕事辞めるほぼ1ヶ月前ぐらいまで遠距離恋愛していたのですけど、夜勤者の頃は、夜勤-非番-休み-休みじゃないと会えないので、ホント大変でした。日勤になってからはそのあたりかなり楽になったんですけどね。
どれだけ声やメールでやりとりしていても、実際に会うのとでは全然違うから。

絶対的に会える回数が減りがちなところをどうカバーするかが続けるこつですかね。

管理人の場合、退職直前に別れた→(その間私は別の人とつきあっていたし、相手は結婚していた)→2年前ぐらいに再会した(メールで連絡はとっていたが、離婚するまでは絶対に会わなかった)→結局破綻だったので説得力がいまいちだな・・・と思いつつ。

| | コメント (13) | トラックバック (0)

«ココログのプラン変更を考えています