福田和子受刑者死亡
82年に起きた松山市のホステス殺害事件で、約15年間の逃亡の末、時効直前に逮捕・起訴され、強盗殺人罪で無期懲役の判決を受け和歌山刑務所で服役中だった福田和子受刑者が、今年3月脳こうそくで死亡していたことが26日、分かった。57歳だった。 関係者によると、福田受刑者は今年2月下旬に刑務所で倒れ、和歌山県の病院に搬送された。脳こうそくと診断され、緊急手術を受けたが意識が戻らず、3月10日に死亡したという。 福田受刑者は82年8月19日、松山市のマンションで同僚のホステス(当時31歳)の首を絞め殺害。遺体を同市の山林に埋め、現金や家具など計1000万円相当を奪って逃げた。その後、整形手術を繰り返しながら、全国を転々とした。 愛媛県警は指名手配中の96年8月、逮捕につながる最有力情報提供者に、犯罪捜査として全国初の懸賞金を出すと発表して注目を集めた。 97年に福井県内で「よく似た女がいる」との情報が寄せられ、福井県警が捜査。時効3週間前の同年7月29日、同県警に逮捕された。
和歌山刑務所で服役していたのですか。この人が逮捕されたとき、よう捕まえたなというのと、逃げ切れなかったのかという2つの感想を抱きましたね。
無期懲役と言うことは、このごろの相場は20年前後ですから、病気で倒れなくても、生きて刑務所を出られるか微妙なところだったと思います。亡くなるにはまだ若い年齢だったとは思いますが、人は死を免れることはできません。
それに、無期懲役の場合、仮釈放になったとしても永久に仮のままで、本当の釈放は恩赦でもない限りあり得ません。
現役時代、刑務所で突然具合が悪くなって入院→そのまま搬送先病院で死亡というのは1度だけ体験しました。
累犯の受刑者でした。夜勤中に腹痛を申し出てきたので、横臥しなくても良いから楽な姿勢でいるようにと指示しました。次の日は出役せず、すぐ病院へ検査に行きました。その受刑者の死を知ったのは、それから2ヶ月ぐらい経ってからのことでした。病院移送などもあったと思うのですが、なにせまだ新米看守の頃で何がなんだかわからぬうちに、受刑者の死を迎えました。
強盗殺人という凶悪犯罪を犯し、時効ギリギリまで逃げ続けたというたちの悪い人間でしたが、今となっては冥福を祈るだけですね。
8月 27, 2005 News | Permalink
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コメント
保護処分の場合は「執行停止」という制度がないので,無理やり仮退院させるしかありません。根拠は「仮釈放及び保護観察等に関する事務規程」第33条2項です。
私は分類保護担当の時に,重篤な病気にかかった少年を,すぐに1級下に進級させて,同根拠に基づき仮退院申請書を作成し,仮退院させた経験があります。
理屈としては,「1級に進級するくらい頑張ってますし,病気の治療に専念させるほうが保護上適当と思いますので」という感じです。
医療少年院でもカバーできない疾患だったので,こういう例は数少ないかも。委員さんが協力的だったので,非常にスムーズにことが運びました。
保護処分の執行停止は,少年法改正の重要テーマであると思います。(ただ,停止することが保護主義と背反しないかという理念レベルの問題もあり,難しいです)
投稿 不肖 | 2005/08/28 0:59:36
私は、L級の施設に勤務していましたが、無期懲役受刑者は、世間で言われるほど、仮釈をもらっていませんよ。30年以上刑務所にいる者がごろごろいました。しかも、1級や2級者で。ある統括は、引き受けがあれば、すぐに出すと、言ってましたが。
投稿 主任 | 2005/08/28 9:01:01
少年の場合は、執行停止という概念がないのが、施設で対応できない状況になったときに問題になりますね。
でも、病気の治療ができなければ保護もなにもあったモノじゃないと思うのです。病気の治療が遅れたがために最悪の事態を招いたとすれば、それはそれで訴訟問題にも発展するかと思います。
不肖さんが書かれたケースでは、幸いにも仮出所を認めるというケースで、病気の治療に専念できることができたということで良かったと思います。
成人のL級の場合は、やはり引き受けが問題になるかと。社会的感情の問題もあって、なかなか引き受ける人もいないのでしょうね。身内が引き受けてくれるのならいいのですけども、LBだと身内にすら見放されていたりもしますしね。外部に引き受けをといっても身内以上に難しいですからね。
30年以上もムショの中というのは自業自得といえばそうですけども……
投稿 管理人 | 2005/08/28 9:24:47
今週の女性セブンで、この話題が取り上げられていました。
息子を2度も捨ててまで逃亡生活を続けていたということ、それでも息子は月1回の面会を欠かさずしていたことなどが書かれていました。
投稿 管理人 | 2005/09/03 22:23:33