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日本人留学生殺害:米死刑囚に刑執行 わずか7分、淡々と

このブログでは珍しく海外事情を取り上げます。

http://mainichi.jp/select/today/news/20080619k0000m040159000c.html

 米オクラホマシティーで95年1月、京都市出身の留学生、山本憲さん(当時22歳)が殺害された事件で、刑が確定していたテリー・ショート死刑囚(47)の執行に17日、立ち会った。死刑囚はすすり泣きながら「話すことは何もない」と家族らに最後の言葉を残し、薬物注射で刑を執行された【マッカレスター(米オクラホマ州東部)小倉孝保】
 州刑務所から立ち会いを許されたのは地元記者5人と私の計6人。午後5時47分(日本時間18日午前7時47分)、執行部屋へ移動。部屋は窓ガラスとカーテンで仕切られ、向こう側は見えない。続いてショート死刑囚の家族ら5人が入室し、記者の前に座る。私のすぐ前は死刑囚の2歳違いの妹だった。  麻薬中毒の母の下で育った兄妹は幼いころ、励まし合って生きてきたという。6時ちょうどに州矯正局関係者3人が入ると、死刑囚との間にあったカーテンがサッと開いた。
 ガラス越しにみるショート死刑囚はベッドに体を横たえ、手足は縛り付けられているようだった。青い囚人服姿の胸元まで白いシーツが掛けられ、腕には隣の部屋から引き込まれた2本のチューブが付けられている。機械で3種類の薬物が順次、注射されるよう設定されているという。
 ショート死刑囚が立会人席に顔を向け、2回、3回とうなずくと家族は身を乗り出し、2人がVサインを送った。死刑囚の顔の上に取り付けられたマイクを通じ、すすり泣くようなか細い声が立会人席のスピーカーに伝わる。「話すことは何もない」と早口で言うと、すぐに動かなくなった。薬物が体内に入ったのだろう。  妹は隣の夫に体を預けるようにして、泣き声をかみ殺す。殺人犯であっても、彼女にとっては母の暴力から守ってくれた兄なのだ。
 医師はショート死刑囚の胸に聴診器をあて、「6時8分、死亡確認」と告げた。死刑執行にかかった時間はわずか約7分だった。

 ショート死刑囚は95年1月8日未明、オクラホマシティーのアパート1階に爆発物を投げ込み炎上させた。2階に住んでいた山本さんが全身やけどで翌日死亡、数人が負傷した。1階に住んでいた交際歴のある女性を狙った犯行だった。97年に第1級殺人罪などで死刑を宣告され、07年10月に刑が確定していた。
 執行部屋の隣の部屋からは、ショート死刑囚の投げた爆発物で大やけどを負った被害者が執行を見ていた。ロバート・ヒエスさん(52)は執行後の記者会見で「人の命を奪ったのだから死刑は当然。彼は痛みを感じずに死んだが、私は今でも(やけどの)痛みに苦しんでいる」と語った。

 ◇ことば 米国の死刑制度
 連邦最高裁は76年に死刑を合憲と判断。現在、全米50州のうち36州で死刑が規定されている。しかし、死刑廃止を求める世論の高まる中、多くの州は執行を一時停止しており、07年に死刑を執行したのは10州だけだった。

 死刑が定められている36州はいずれも薬物注射による執行を採用。うち一部の州は死刑囚が執行方法を電気椅子▽ガス室▽絞首刑▽銃殺ーーからも選べるようにしているが、ほとんどは薬物注射を選択する傾向にある。

 ネブラスカ州は唯一、電気椅子による執行だけを規定していたが、今年2月、州最高裁が「残虐な罰」を禁じた州憲法に反すると判断した。

 多くの州では被害者の家族への配慮や刑の透明性を高める目的で、死刑囚の家族に加え、被害者や遺族、ジャーナリストの立ち会いを認めている。

日本の死刑執行事情とは大きく違う。
つい最近まで、誰が執行されたのかですら公表されていなかったという、密室状態。
かたや被害者感情や刑の透明性の確保に努める米国。
刑の執行手段云々の前に考えさせられる。

もちろん、どっちにしても執行に携わる職員がいるのは同じ。
好きこのんで執行に携わる職員はいないだろう。でも、公僕として与えられた任務だからこなさなければならない。

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20年という時間(宮崎勤死刑執行に寄せて)

各地既報ですが、本日、連続幼女殺人事件で世間を騒がせた宮崎勤死刑囚の刑執行が東京拘置所でありました。

http://mainichi.jp/select/jiken/archive/news/2008/06/17/20080617dde041040031000c.html
より、事件と公判の流れを追っていきます。

1988年8月 埼玉県入間市の幼稚園児(4)が失跡
1988年10月 同県飯能市の小学1年生(7)が失跡
1988年12月 同県川越市の幼稚園児(4)が失跡
1989年2月 入間市の園児宅に遺骨届く
1989年2月 朝日新聞社に「今田勇子」名の犯行声明文
1989年3月 入間市の園児宅などに「今田勇子」名の告白文
1989年6月 東京都江東区の保育園児(5)が失跡
1989年7月 宮崎死刑囚を幼女への強制わいせつ容疑で東京都八王子市内で現行犯逮捕。
1989年10月までに4件の誘拐殺人で起訴
1990年3月 東京地裁初公判で起訴事実の一部を否認
1997年4月 東京地裁が死刑判決
2001年6月 東京高裁が宮崎死刑囚側の控訴棄却
2006年1月 最高裁が上告棄却。2月に死刑が確定
2008年6月 死刑執行


最初の事件から20年。
この事件は、当時としてはかなりセンセーショナルなモノでした。
当時はまだインターネットもなく、彼の性的な欲望を満たすモノといえば、ビデオ、本、写真といったアナログなモノしかなかったころです。今ではもはや考えられないでしょうけどね。

特に、起訴後、初公判までが半年、1審判決が出るまで7年半近くかかっているという、裁判の長期化という問題が顕著に出ていると感じます。2審でも4年、最終審でも4年以上かかっていて、16年あまりを公判に要していたという計算です。
生死を扱うのだから慎重にというのは理解できるけど、それにしても長すぎるというのが一個人かつ一市民としての実感です。
現役の人からすると、同じ場で同じ時間を共有したという観点から見ることができるのかもしれないと思いながら。

逮捕当時25歳、執行時45歳。
人生の花盛りであるはずの時期を独房で過ごしたのかと思うと悲しく感じたりします。
奇しくも、つい先日の秋葉原での通り魔殺人事件の容疑者も25歳でしたね。
男性にとっては、本格的に社会の中でもまれながら生きていくことを要求されていく年齢になって、将来を考えたときに不安になるのかとも思ったりします。

今の法務大臣になって、刑の執行ペースが速すぎるのではないかという問題も出されていますが、これは過去のツケを今支払っているだけに過ぎないでしょう。過去において適切な刑の執行がされなかった結果でしかないです。

あまりに時が流れてしまったこと、最後まで反省の心がなかったらしいということ、それを思うと空しくもなったりします。

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遠距離恋愛は大変だよ

刑務官になって辛いのは、彼氏と自由に連絡が取れなかったり、会えなかったりすることでしょう。

今はケータイが普及していて、メールはすぐ返信とかの習慣とかがあるようなので、なおさら大変なんだろうなと思いつつ。
あ、でも職場内のケータイは持ち込み禁止ですから、そういった事情というのは相手にも理解してもらう必要があると思います。たまに、2chとかでケータイ持ち込んでいるとかの話があるのですが、これって過去の歴史に学んでいないよねと。籠絡されたらどうするのですか?

私の場合、彼氏に対して、夜勤日を教えるのと、夜勤の日は次の朝までは絶対に連絡が取れないというのを教えることで比較的スムーズに進めることができたのですが……ケンカになって私が無視モードに入ると、私が家にいる日は電話が鳴るという状況にもなったりして大変でしたね。
それとか、最初拝命した施設で2人暮らしだった頃、隣の部屋の人に22時頃に電話しているのを怒られたりとか。

仕事辞めるほぼ1ヶ月前ぐらいまで遠距離恋愛していたのですけど、夜勤者の頃は、夜勤-非番-休み-休みじゃないと会えないので、ホント大変でした。日勤になってからはそのあたりかなり楽になったんですけどね。
どれだけ声やメールでやりとりしていても、実際に会うのとでは全然違うから。

絶対的に会える回数が減りがちなところをどうカバーするかが続けるこつですかね。

管理人の場合、退職直前に別れた→(その間私は別の人とつきあっていたし、相手は結婚していた)→2年前ぐらいに再会した(メールで連絡はとっていたが、離婚するまでは絶対に会わなかった)→結局破綻だったので説得力がいまいちだな・・・と思いつつ。

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